アジア太平洋オリエンテーリング選手権2004参加記(2004/5/22-30)


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開催日:2004年5月22日(土)-30 (日)
場所:カザフスタン
   ウスチカメノゴルスク(ウスクメン)
大会ホームページ:
   http://www.lik.kz/apoc/DefaultEng.htm

   要項



APOC(Asia Pacific Orienteering Championship)に参加してきました。86年香港、90年カナダ、94年ニュージーランド、98年中国(北京)に続き、5回目でした。いろんな方面に行ってきましたが、名前を聞けばすぐに世界地図の中で位置がわかるところばかりでした。それが今回は最初はどこにあるのか全然イメージがわきませんでした。

まだまだ体制が整っていませんが、スポーツや観光にもこれから力を入れて行くようで、この大会の直前には柔道の世界選手権が開催されていました。

いろいろ驚きもありましたが、たっぷり楽しんできましたので、これから紹介していきます。

補足)APOCとは:Championshipという言葉がつきますが、なんらかの資格がないと参加できないという事はありません。年齢別にクラスが分かれていて、マスターズと同じような考え方です。子供の参加するクラスもあります。

1.カザフスタンって?

カザフスタンと聞いて、国のイメージがわかる日本人は少ないと思います。下に「日本とカザフスタンを含んだアジア」、「カザフスタンの全体」、「東カザフスタン」、「ウスチカメノゴルスク(ウスクメン)」の地図を並べました。クリックすると大きくなるので場所がわかるでしょう。

★画像下の文字をクリックすると大きい画像が表示されます。平均サイズは70KB程度です。

さて、ここでクイズ。

・カザフスタンの面積は日本の何倍でしょう


・人口はどれに近いでしょう


・日本との時差は夏時間で何時間でしょう



 
面積は世界で9番目という大きさです。1991年にソ連崩壊に伴い独立宣言しています。人口の50%がカザフ人、30%がロシア人です。言葉はカザフ語が国家語でロシア語が公用語で、現在は基本的に両言語で表記しないといけないようになってます。ただ、大会開催地の街で普通に使われているのはロシア語ばかりでした。詳しくは外務省HP

カザフ人と一言でいっても色んな民族が混じっていると思いますが、日本の街中に連れてきても違和感のない人がかなり多いという印象でした。

ロシア春夏脳炎というダニが介在する病気があります。大分前にオリエンティアメーリングリストで話題になった欧州の脳炎と同類のようですが、発症した場合の死亡率は30%と高いものです。予防注射はあるのですが日本では普通には入手できません。しかし、S夫妻は探し出して打っていきました、自分は結局打たずじまい。ダニにかまれた後3日以内であれば血清が有効だとの事です。ロシアでは年間300人程度が死んでいるそうですが、結局大会で事故が起きたという話は聞きませんでした。なお、プログラムには重要事項として書いてあったのですが、要項には書いてなかった。これって、ちょっと変ですね。

2.大会開催地との往復

開催地はウスチカメノゴルスク(U-Kと略す)という都市でした。これはロシア語で、同じ都市のカザフ語での名称がウスクメンです。

現在、日本からカザフスタンへの直行便はなく、ソウルからアルマトイまではアスタナ航空(首都名のカザフスタンの航空会社)で5時間。B757でごく普通の飛行機でした。中国上空を通過しましたが、北京より西は初めてみましたが、本当に砂漠ばかりが続くのが印象的でした。農地があっても、砂に囲まれており本当に維持できるのだろうかというようにと思えました。アルマトイからはSCAT航空で2時間半かかりました。こちらは、AN24(アントノフ)という旧ソ連のプロペラ機でした。外見も内部もいかにも年代ものという感じでした。搭乗券に座席は書いてあるものの、のったらみんな勝手に好きな席に座っていました。座席の上の棚に蓋はないので重いものは置けず、そのかわりと言ってはなんですが、操縦席との間に荷物を置く部屋があり、乗客が置きに行ったりしていました。窓もかなり傷だらけで外がすっきり見えないのが残念でした。また、どんなに揺れるかと心配したのですが、安定した飛行で安心。と思っていたら、こんなのを見つけてしまいました。こちらもアルマトイとウスチカメノゴルスクの間は、大きな湖があったりして中国奥地よりはましなものの、砂漠に近いところが多かったです。

アルマトイ-ウスチカメノゴルスク間はバスや鉄道でも移動できます。バスだと18時間だそうです。鉄道だと一度北に向かい、ロシアに入ったあと南下していくことになります。

3.大会の日々

 全体の日程は以下のとおりでした。
   5/21(金) モデルイベント
   5/22(土) 開会式&カザフオープンカップ<パーク>
   5/23(日) カザフオープンカップ<ミドル>
   5/24(月) カザフオープンカップ<ロング>
   5/25(火) カザフオープンカップ<ミドル>
   5/26(水) モデルイベント
   5/27(水) APOC<ミドル>
   5/28(水) APOC<ロング>
   5/29(水) スポーツのショー&モデルイベント => 中止
   5/30(水) APOC<リレー>&閉会式

大会全体の名簿のようなものは配られなかったので、人数を把握してないのですが、パークのスタートリストを見たかんじでは、全体で500人程度だと思います。国外からの参加は、日本、香港、オーストラリア、ロシアがそれぞれ30-40人程度で他はごく少数でした。日本は日本旅行ツァー、藤巻さんツァー、新さんツァーがそれぞれ約10人でした。日本旅行ツァーは23日から30日まで参加。藤巻さんツァーは24日から28日まで、新さんツァーは26日から28日までの参加でした。

[5月22日(土)] アルマトイ観光と移動、受付

アルマトイの近くのメデオ・スケートリンク(スピードスケートでは記録製造所として有名でした。最近は記録はもっぱら室内リンクで出ています)までずっとミニバンで坂を登っていきました。なかなか立派なリンクでしたが、いかんせん季節柄、氷のないのが残念でした。そして、リンクを見下ろすダムに登って景色を見ていると、止まった車から降りてきた外人さんが「こんにちは」と日本語で挨拶してきました。「港区に住んでます」と言ってました。更に登ってスキー場のリフトのところまで行くとさすがにだいぶ涼しくなりました。
と言っても日差しは強かった。上には雪が見え、リフトで滑りにいく人もいました。この山脈を越えていくとキルギスタンになります。

現地旅行社からは日本語を話せるアシェムという女性がつき、大会期間中とても助かりました。彼女の話によると、このスキー場には昨年ロシアのプーチン大統領が来たそうです。また、綺麗な別荘も何軒も建っていました。どこでも金のある人はいるものですね。山から下りた後は市場を見て食事。市場はかなり活気がありました。物乞いもそこそこいましたが、ついて来るような事はありませんでした。市場ではドライフルーツ、肉類などが多く、キムチなどを売っている韓国系の店も沢山ありました。ホテルの前の公園の広場では野外カラオケも発見、世界中にあるのですね。

この後、飛行機でウスチカメノゴルスクに移動し、大会センターで受付。誓約書の記入、外国人登録、写真を撮って参加証を作ってもらうなど色々ありずいぶん時間がかかりました。ここで分かったのが会場に向かうバスが朝6時とかそんな時間に出るという事。まいった!

夕食はホテルでのディナーをとり、翌日に備えて早々と睡眠。なお、カザフで一番ポピュラーなビールはテンシャン(天山)ピーボ(ビール)です。500mlで70テンゲ(約60円)。食料品の値段はは日本の1/3から1/4という印象でした。

[5月23日(日)] バスの苦行がはじまった

早朝起きてホテル前に来ているバスに乗り込む。オーストラリアやロシアが一緒だった。街を出て北西に向かう。まわりは延々と続く草原。ところどころ残雪もある。途中、運ちゃんの休憩もあり、結局会場まで2時間以上かかった。そして、着いたと思ったのだが、そこでも何時降りたら良いのか全然わからず、降りるまで随分時間がかかりました。「東カザフスタン地図」の1のあたりでイルティッシュ川のそばの保養地みたいなところでした。トイレは木製の手作りで2人用、床に穴があけてあり、穴を掘った地面の上に設置していました。数が少ないのを別にすれば、まともで問題ないものでした。

大会会場はオープンでかなり見通しが良く、大きな岩の目立っていました。最後のほうで尾根に乗りそこねて、登りなおす事になり、ミドルでは痛い失敗でした。

一緒に来たオーストラリアなどは、ここの保養地に泊まる手配ができていたようで、帰りのバスには乗りませんでした。こちらは再びバスでの帰り、往きは観光バスタイプだったのですが、帰りは街中の旧い路線バスで、これが大変でした。まず、乗ったは良いが発車しない。バスの運ちゃんが工具を持っておりていく。これを何度も繰り返してやっと発車。発車したは良いが、しばらく往くとまた止まって運ちゃんが工具を持って、という繰り返し。いいかげん皆疲れてしまいました。

このバスでの移動中、なんどか「中越宅配便」とか書いたトラックに会いました。ロシアへの中古者輸出は有名ですが、ここにも入っているという事のようです。

夜は街にでてカフェで食事。ここではレストランはすべてカフェとなっているようでした。そう言えば、役員がつけている名札にはみんなレフェリーと書いてありました。

[5月24日(月)] 雨中、丘の上の見晴らしのよいスタート

やはり早朝のバスで会場に向かう。この日は一旦大会のセンターに集まってバスは集団での移動となった。右側通行なのだが、先頭を走るパトカーが左寄りに走り向かってくる車を幅寄せして止めてしまうのです。これでバスは余裕を持って走れるというわけ。23日と同じ地域ですが、更に東の場所でした。途中、道がわからなくなりパトカーが場所を探したりしていましたが、なんとか待ちあうように到着。会場のすぐ横には徴兵制で召集されたばかり兵の訓練所がありました。訓練所には一応フェンスがあるのですが、結構やぶれていて大会のトイレが到着しないのでそこにある屋外トイレをみんなで使用。戸がちゃんと閉まらないので手で押さえながら使ってました。だいぶ時間がたってから大会用のがトラックで到着しました。

雨が降ってきました。一旦、バスの外にでたものの激しくなってきたので皆バスに戻って待機。ポチポチとスタート。スタート枠は丘の上で見晴らしが良すぎるのでスタート時刻より10分?だった前に、会場から誘導でスタート枠に向かうプレスタート方式でした。昨年のスイスO-Weekでも1回ありましたが、日本ではほとんど実施されてない方式です。

やっとスタート。オープンで見晴らしがよく、遠くで走っているのも良く見えました。秋吉台のオープンな所から、いきなりスタートする感じです。途中、どしゃぶりになりましたが、ゴール時には止みました。中盤の岩石地帯で地形が読めずロス、最後でも少々ロスしてしまい不満足な出来でした。

夕食はホテルの前の建物にあるカフェ。どこのカフェでも酒類の種類が沢山ありました。ワインは兎も角として、ウォッカも種類が揃っておりスミルノフが一番安いものでした。コニャックなんてのも何種類も揃っていました。イスラム教徒が多いという話ですが、この国では世俗的で酒にもうるさくないようです。一日のうち何度もメッカに向いてお祈りするというのも見ませんでした。

[5月25日(火)] カザフってこんなに雨が降るの

会場は24日のすぐ傍でしたが、より高い場所でした。この日もスタート前から雨が降ったり止んだり、天気雨という感じでしたが気温も低めでした。事前の調べではカザフスタンってこんなに雨はふらないはずだったのですが、どうも実態は違うようです。広い国を降雨量の数字ひとつで表せるはずもないという事ですね。考えてみれば当たり前な話です。レース後に警官とパトカーと一緒の撮影もしました。

この日のレースは最低。24日と重なった大会会場でしたが、地形が読めずに迷ったところで、またまた大幅に時間を掛けてしまい、なんとかその後立ち直ったつもりだったが終盤コントロールをひとつ飛ばしてしまいました。まったくしようもない。

この日はカザフオープンカップの表彰があり、日本人も数人表彰を受けました。ただ表彰式が終わる前に雨が降り出し、バスに駆け込んでしまいました。

夕食はホテルの前にあるとおりの突き当たりにあるイルティッシュ川の戦場じゃない船上レストラン。といっても固定されていて動くわけではないのですが、川の流れや夕日が沈むのを見ながらの食事はなかなかでした。この日は男性陣ばかりだったのですが皆でロシア語のメニューを、旅行用のロシア語本と首っぴきで解読しながらの注文というのもなかなか楽しかった。

[5月26日(水)] ゆっくり起きて街をブラブラ

久しぶりにゆっくり起きてホテルの朝食をとり街に出ました。なんでも街の博物館を見せてくれるとの事でボランティアについて近くの旧いレンガ造りの建物に行きました。博物館といっても、街の作家が集まったり、子供たちに絵などを教えたりしているところでした。子供たちの絵が沢山飾ってあって、なかなか上手なものがありました。なかには浮世絵を真似たものもあったり、自然の素材を使った貼り絵がとても多くありました。そして最後は記念品コーナー。ここでみんな日本人らしさを発揮して、買い物魔への変身でした。昼食は街のファーストフードショップ的な店。この後は本屋で良い地図がないか探したり、それぞれ疲れをとりました。夕食はホテル近くのロシアンカフェ。Fさんが市電探検をしてきました。

[5月27日(木)] ひろびろした片斜面、コンタ2.5mの大会会場

この日から日本からの参加者が全員揃いました。再び、朝早くのバスで出発。25日までとは違う道路から街を出ました。といっても延々と続く草原という基本は変わらず。先導パトカーの幅寄せも変わらずでした。「東カザフスタン地図」の2のあたりで、今度は川はまるで見えない場所でした。標高も高く900mくらいなので寒いかと心配しましたが、良く晴れて杞憂に終わりました。

会場についてみんなで陣取っていると、こども達がサインを書いてもらいにポスターなどを持ってくるのでみんなで書いてました。

大会会場は目の前に広がるゆったりした傾斜の片斜面。ビジュアルコントロールもあり、スタートした選手が走っているのが良く見えます。コンタが2.5mなので、スタート後慎重に地形を確認しながら走り最初は順調。しかし、またまた中盤でミスした後あせってしまいリカバリーに失敗。その後は順調に走りましたが、トップは相当に早く走ってました。この日は藪もほとんどなく直進と走りの大会会場でした。

夕食は24日と同じホテル前のカフェ。

●この日のパノラマ風景はこちら

[5月28日(金)] みんながXXXした所を走る

会場は27日にバスを停めておいた場所から凸凹道を南下した湖の傍の保養地のような所でした。凸凹道なので観光バスタイプはとても往けないので、主要道路の横に停めておき、路線バスタイプに乗り換えて大会会場まで移動しました。この路線バスタイプ、みかけはかなりの旧式でやっと動いているという感じなのですが、悪路にはとても強いものでした。

さて、会場に到着。相変わらずトイレは2人用のみ。みんな待ちきれません。立ち入り禁止のテープもないので、草原や岩場に出て行きやっています。参加者は会場の南にある湖を一周するコースと思っていたのですね。いよいよスタートの時間です。思ったとおり南に走っていっているぞと見ていたのですが、しばらくするとかなりの人がXXXしたあたりを走っているではないですか!みんな唖然。おい、どこにした?なんて会話がありました。しようがないなと思い皆スタートしたわけですが、結局踏んでしまったとかいう話はありませんでした。けれど、あれだけの草原ですから、一度踏んでも走っているうちに綺麗になってしまうので、踏んだ人間がいないなんて
断言できないですね。

さて自分のレースですが、またまた失敗。コントロール飛ばしはさすがにしなかったですが完全な現在地ロストを中盤でしてしまいました。かなり見通しが良く大きな特徴物が遠くから見えるので、目標物を決めたあとは兎に角そこに向けて走れば良いので、途中ではコンパスも距離もロクに考えずに走りました。前半は全く問題なかったのですが、後半に入ったところで失敗。地図上大きな岩塊があるので十分に見えるはずと考えて見渡したところ、まさにそれらしいものが正しい方向に見えました。よし!と走ったのですが、その先のルート上方向転換する予定の場所についたはずが植生や地形のイメージが違い、散々うろつきまわってしまいました。目標として考えた岩塊は実は木に囲われていて良くみえず、その手前の地図上の表記ではそれほど大きくないはずの岩場を目標と間違ったというわけです。この日は結構予想外の順位だった人が多かったようです。

ゴールした後は、暑かったので湖に入りましたが冷たかった。同じクラスでいつも上位にいるNZ人も明らかに失敗していました。しかし日本人はM21でYさんが1位、W21でKさんが2位、他にも表彰を受けました。夕食は25日と同じロシアンカフェ。

[5月29日(土)] 休養日、市電に乗る

ホテルで朝食をとり、センターに行ったりして休養日。この日は良く分からないが伝統競技か何かのショーとかモデルイベントもあるはずだったのですが、中止になってしまいました。そこで、みんなで市場にゆき、その中の食堂で昼食。ここではビールは50テンゲ。その後、市電で一番とおくまでいき鉄道の駅を見てきました。貨車が多く並んでいました。この都市は金属の精錬工場が大きな産業になっているようでした。国全体でも鉱物資源や石油が豊富なのです。市電は20テンゲ。市内をかなりの距離歩いてみました。

夕食は28日に新ツァーで行ってきたというグルジアレストラン。彼らが食べたという大きな魚の料理はとらなかったのですが、注文しすぎでだいぶ残してしまいました。あとはブラブラと川岸沿いの歩道を歩いて帰りました。土曜日だからか歩道には結構人が出ていました。

[5月30日(日)] 最終レースは近郊の丘で

この日はリレーに出たあと、そのまま空港に移動するので、大会側のバスでなくツァーで手配したバスに乗りました。しかし、運ちゃんが場所がわからないという。結局なんとか会場近くのバスを停めておくところには着いたのですが、今度はどちらにいくのか分からない。しばらくウロウロしてしまいました。

会場は市内が見える丘の天辺。日陰のない場所でした。今までは全て予定どおりの時間にスタートできていたのですが、ついに準備が
待ちあわず、30分だったかな?遅れてのスタートになりました。しかし、開始後は順調に各クラスがスタートしていきました。丘の周りを一周して戻ってくるというコースで、中盤で会場の端にあるピーク地点のビジュアルコントロールを全員通過するという設定でした。このビジュアル、下からきつい斜面を登ってくるのが良く見えるのです。また、あれ?と思うような方向から登ってくる人もいました。これは中々楽しめ、声援をしたり水を補給したり、みんなでやっていました。

表彰式が終わった後は、残念でしたが飛行機の関係でその日のうちにアルマティに移動しないとならないので、閉会式には参加せず空港に向かいました。空港についたら香港チームが来ていたのには驚きました。結局、飛行機は日本と香港でほぼ貸切の状態でした。時刻表には2時間と書いてあったけれど、結局2時間半かかってアルマトイ到着。夕食はオトラルホテルのレストランでバイキング。

4.あれこれ

[オリエンテーリングあれこれ]

この国ではAの付いているクラスと付いていないクラスがある場合、付いていないクラスのほうがコース距離が短いという事です。

電子パンチはSIでしたが、この国にも専門家がいるようです。30日のリレーの日の写真に入れておきましたが、分からない事があったら彼に話せば良いようです。

[出入国]

ガイド本には結構大変そうに書いてありましたが、税関書類は結局入る時も出るときも書かずに済みました。カザフ通貨も持ち出しは禁止という事なのですが、そううるさいチェックはなく、人により紙幣を持っていると答えてもそのまま持ち出せたようです。まあ職員により違うようなので持たないほうが無難なのは確かです。今回の場合は、大会に国の「旅行スポーツ省」(とでもいうのでしょうか)が関わっているせいか外国人登録は大会受付で行えました。そして、このチェックは出国時にほぼ確実に行われるようです。ひとりだけノーチェックで通ってしまいましたが、この紙は失くさないようにしないといけません。

外国人登録証

[キャッシング]

結論からいうとカードでの買い物は殆どできませんが、カードでのキャッシングができるATMは相当な数があるので、チェックも米ドルも持っていく必要はないようです。

U-Kでもホテル前の24時間開いている店の中にATMが2台あったくらいです。アルマトイのホテルにはロビーにありました。機器についているラベルにはVISAとは書いてなかったのですが、VISAもOK。U-Kのホテルは機器は搬入してあったけ設置が未完了でした。

VISAのATMロケータというホームページで目的の都市の状況が確認できます。実際にみた感じでは、検索結果以上にATMが多いのではないかという印象です。

[謎のカザフスタン・ジャージの団体]

帰りのアルマトイーソウル便、揃いのジャージで背中にカザフスタンと書いたものを着た集団がものすごい人数乗ってました。その集団の貸切に近い感じでした。最初、空港で見たときは数人だったし何かのスポーツの団体かと思ったのですが、どんどん人数が増えてきたので、こんな大集団がスポーツとは思えない何だろうと思っていたのですが、機内で謎が解けました。

話しかけてきたので聞いたら、ソウルへの集団出稼ぎとの事。3年間の期限でいくとの話でした。国内での仕事が少ないという事なのでしょう。

[縦型のカレンダー]

参加記念品の中に手帳用の携帯カレンダーが入ってました。ぜんぜん、気にも留めていなかったのですが、よく見ると面白い。曜日が縦並びなのです。ま、それだけの話ですが。



[インターネット状況]

大会ホームページはあったわけですが、まだまだのようです。オトラルホテルの部屋の中の電話の説明には書いてあったのですが、ざっと見た感じ電話機のコネクタが取り外せない。音響カプラを使えという事でしょうか。

大会センターにはカザフスタンテレコムの出張所があり、PCも置いてありましたが休養日に使ってみようとしたのですが、調子が悪いようで職員がコネクタがつなぎなおしたり、PCの電源を入れなおしたりで、結局使えませんでした。

アルマトイにはインターネットカフェもあるらしいですが、行ってみる時間はありませんでした。

[花]

詳しくはないのですが、下のサボテンのようなもの以外は特に目を引くものはありませんでした。

さて、ここでまたクイズ。

・カザフスタンでは子供の姓がみな同じわけではありません。


・十二支がありますが、かたつむりが入ってます。何の替わりでしょう。



 
終わり  次のAPOCは2006年12月香港です

おまけ:仁川(インチョン)空港

今回、初めての韓国でした。と言っても空港だけですが仁川(インチョン)で乗り換え。とにかく大きな大きな空港でした。まだまだ使ってないところがあり、人の少ない場所がありました。乗換用のホテルがありましたのですが複数通貨で料金が書いてあり、実際のレートを適用すると注意書きがあります。よく見ると、ぴったりした数字になっているのは円、という事は円を基準にしているわけです。面白いですね。韓国の空港なのに円を基準にするというのは。結局、日本人の利用がそれだけ多いという事なのでしょう。

インターネットが利用できる場所が2箇所ありました。1箇所はウィングの中で有料。そして、もう1箇所はホテルのある中2階的なフロア、こちらは無料です。この中2階のようなフロアは東西か南北か覚えてませんが2箇所あり、ウィングから見て右側のほうが空いていました。

おまけ2:AN24のプロ?

帰りにU-Kの空港から離陸する時に、なんだろう?という事がありました。座席に座り外を見ていると、プロペラの前にひとりの人が立っていました。あんな所にたって何をする人なのだろうと思っていました。エンジンがかかっても前にいます。そのうちに相当に高速な回転をした頃に片手を挙げて、合図をして今度は逆側に移動したようです。推定ですが、エンジンの調子を外観と音からででも判断して、離陸OKを出すプロなのでしょう。プロペラ機時代はどこもこんな仕事があったのでしょうか。

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