O-RINGEN5日間大会に参加してきました。大会前後も含めての レポートです。
この大会は、オリエンテーリング発祥の地SWEDENで毎年夏に場所を 変えて開かれるものです。レースは名前のとおり、5日間にわたって毎日1レースがあり、合計タイムで全体の成績が決まるものです。 今年は7/26(月)から7/30(金)にかけてき開催されました。毎年場所が変りますが、今年はボーレンゲというストックホルムの北西 200kmにある町でした。
参加者は今年は1万4000人でした。参加者は大会のセンターに キャンピングカーで来るのがメインで、残りは学校の教室、ホテルなどに宿泊します。日本人は今年は約40人で、他の大会との重なりなどもあり 少なかったようです。日本人のほとんどが教室へ寝袋を持ち込んでの宿泊でした。
クラスは通常のオリエンテーリングと同じで年齢やレベルで分かれますが、それでも参加者が多いところでは700人以上になり、1分間隔の スタートにしても10時間以上かかる事になり、これでは競技になりません。そこで、人数の多いクラスは最大で3に分割されました。
1から4日目は事前にスタート時間が指定され、5日目はチェイシング スタートと言い、4日目までの合計タイムがトップの人が最初のスタートで、以後は合計タイムの時間差でスタートします。つまり、5日目に最初に ゴールした人が優勝になります。ただし、時間差スタートになるのは、4日目までの差が2時間以内の場合だけで、この制限を越えた人は2時間 以後15秒間隔で順番にスタートします。
今年の特徴は3点ありました。
電子パンチの全クラスへの導入。ものとしては、EMITでなく SportsIdentでした。ランニングのランナーズチップと同じように個人所有もののと参加時に貸すものがあり、指に固定し、コントロール地点でパンチの変わりの小型の箱の穴に挿し込むものです。通過時刻とコントロール識別コードが指につけているものに記録され、ゴール地点でそれがセンターのコンピュータにアップロードされるというものです。なかなか快適な使い勝手でした。コントロールでの機器故障に対してはパンチも残して対応していました。実際に故障があったかはわかりません。また、同時期に開催されたスイスでの大会では、ゴールからでるとラップ表がもらえたそうですので、それよりはサービスレベルが低かったようです。
スタート前には、コントロールと同じ形だが記録をクリアする装置に「ブリック」を差し込みます。また、ゴール後には記録を「ブリック」からコンピュータに転送する装置に差し込みます。
競技会場への毎日の移動が従来はバスだったものが、今年は列車になりました。20分間隔で6両編成(だったけ?)の列車が運行されました。この間、通常の列車運行は中止されていました。また、駅は4日目を除いて仮設されていました。今までのバスのほうが間隔が短くて良いと思いますが、まあ駄目という事もないでしょう。- インターネットでの申込みが実施されました。従来から情報の提供はされていましたが、今年は遂に申し込みもできました。といってもお金は別途送金する必要がありましたし、情報の訂正はホームページでなく、別途e-mailでの連絡が必要だったなど、完全なものではありませんでした。しかし、インターネット利用に積極的な北欧の事、来年あたりクレジットカード会社と提携してのオンライン支払も始めるかもしれません。
これで、4度目の参加。
1回目 1991年
H21Bクラス
チェイシング外。
187位/189人(最終順位の付いた人数、参加は250人程度)
2回目 1992年
H21Bクラス
2日目までで腹痛で入院。
腸に穴が空いたとかで手術。
入院中に岩崎恭子の平泳ぎ優勝を見る。
3回目 1995年
H21AK3クラス
チェイシングに入った。
199位/221人(最終順位の付いた人数、参加は260人程度)
4回目 1999年
H45Lクラス
チェイシング外。
59位/61人(最終順位の付いた人数、参加は69人)
どうも、H45Lでチェイシングに入るため、また参加したくなってしまいました。困ったものです。とにかく、あのオリエンテーリングにつかりっぱなしの5日間。お祭り気分で楽しかったです。
もっと詳しいレポートもあります。
以上