第3回の横浜シティロゲインで西口近くの高台にある1863年創業の田中屋をチェックポイントにしました。料亭で、龍馬伝で出ていた「おりょうさん」が勤めていたこともあるそうです。そして、その時にその高台のすぐ下が水面になっていた事も知りました。その当時は、西口のほとんどが平沼だったのですね。
そして、先日日経の私の履歴書(オンワードの名誉顧問馬場氏)を読んで驚いたのは、昭和初期には西口のそばが材木の貯溜場になっていて木場のような所だったとの話です。で、興味を持ったので、現在と明治初期の間をつなぐ地図を3枚ほど手にいれて水面の変化を現在の地図に重ねてみました。
一旦ほぼ全面が埋め立てられた後に、再度水を入れて材木を扱う場所を作ったようです。なかなかダイナミックな変貌をしていたようで面白いですね。そして、今回の入手した3枚の地図の前と後の変化がどの時点で起きたのか判らないので、そのうちまた調べてみようかと思います。
1940年(昭和15年)頃。その後、埋め立てられたが、それが戦争中なのか戦後なのか未確認。